篠原聡子教授が、2014年日本建築学会賞(作品)を受賞されたのを記念いたしまして、住居の会と住居学科との共催で、7月12日午後、日本女子大学新泉山館・大会議室にて講演会を開催いたしました。
故高橋公子研究室出身である篠原教授へ夫君である高橋鷹志先生からの祝辞があり、その後篠原教授が「シェアを建築化する試み―都市住居の新たなオルタナティブを求めて―」との題目で、約一時間半、スライドを交えてお話いただきました。
戦後、家族形態が変わり、家族の意識が変わり、個人の意思が変わり、住まいも住まい方も変わってきました。大家族の煩わしさから解放され、社会との関わり を減らしてきた結果、殺伐とした社会になってしまった感もあります。家族単位が小さくなった今、新しい地域との関わり方、それを可能にする住まい・住まい 方が求められていて、その一つの形としてシェアハウスがあるように思いました。
今回のシェアハウスが研究と建物の合体と言われたのは、箱としてのシェアハウスを作ったのではなく、フィールドワークからの裏付けとシェアハウスを支える 仕掛けがあることだと思いました。今後どのように発展していくのか楽しみです。篠原教授が、この度の受賞を「集大成の一歩手前」とおっしゃっていました が、今後ますますのご活躍を祈願いたしますと共に、後輩のご指導をよろしくお願いいたします。
当日、台風後の蒸し暑さが残る日でしたが、104名の方にご出席いただきました。ありがとうございました。
講演会の内容につきましては、篠原聡子教授から原稿をいただきましたので、ご紹介いたします。
当日撮影しました写真は自由にダウンロードしていただけます。
■ シェアを建築化する試み
まず、このような講演会を主催していただいた住居の会の皆様、住居学科のみなさまに心から感謝いたします。また、お忙しい中、お運びいただきました皆様にも御礼申しあげたいと思います。
今回の受賞は建築作品に対してですが、日本女子大学で学生とともに取り組んできた単身者居住の調査のひとつの成果であったとも考えております。そのことはなにより、幸せなことと感じております。
東京が江戸であった時代、そこは、現在と同じように単身者が多く暮らす街でした。長屋と呼ばれる一室で6畳から8畳の小さな住まいが彼らの家でしたが、彼 らは、そうした狭小な住宅に住みながらも、10軒から20軒で、井戸や便所、お稲荷さんのような小さな宗教施設を共有することで、情報を共有し生活を支え あうネットワークをつくっていました。
現在東京では、その過半が単身世帯だといわれています。単身者の為のワンルームマンションとよばれる20㎡前後の小さなユニットにバスルームと小さなキッ チンがついた集合住宅は、人と関わらなくてよい気軽さもありかつては人気がありましたが、家族も少なくなり、地域の共同体も崩壊した今、そうした独立性の 高い住まいより、空間を共有することで、空間的にも、人間関係も豊かになれる住まいとして、シェアハウスが注目を集めているのだと思います。
東京にある シェアハウスのほとんどは、戸建て住宅や会社の社員寮をリノベーションしたものですが、SHARE yaraichoは最初から、7名の血縁によらない居住者が共同生活をすることを念頭においてデザインされた建築です。
10mの高さをもつ内部空間に60㎝の隙間をあけて、3層にわたって4つの個室を内包する小さな箱が詰めこまれ、残りの空間は、すべて共用空間となってい ます。通りに面したファサードはテント幕でできており、ジッパーをあけて中にはいると3層の吹き抜け空間から住宅の全体が見えます。
半戸外のようなその場所は、エントランスであり、家具などをつくる工房でもあります。2階の廊下の本棚は皆の共有のライブラリーであり、3階には共同の キッチンと居間があります。それらは60㎝の隙間を介して繋がっており、それらのすべては構造用合板で仕上げられて、一体の空間として感じられようにつく らえています。テントのファサードと構造用合板でできた共用空間は、 都市空間から囲いとられた親密な私的な住空間というより、都市空間が流れこんだような、都市に連動する空間として計画されています。住居が単に生活を都市 から囲いとるだけでなく、都市につなぐ装置としてつくりたいと、ずっと考えておりましたが、そのつなぐ場所としては、かつての農家の土間のような、仕事の ある空間をイメージしておりました。そうした都市と住居をつなぐ空間こそ、単身者がシェアして住まう住まいには重要な要素であろうと、考えています。
これは、家族用の住宅でも、施設でもない、新しい都市居住のオルタナティブをつくる試みとして設計しました。
今後も、都市と人をつなぐ建築を念頭において、設計、研究、教育の分野で精進していまいりたいと思います。本日は、どうもありがとうございました。 篠原聡子