日時:2017年2月18日(土)
選定委員長:手塚貴晴(建築家)
選定委員 :西田 司(建築家)
選定委員 :阪田恵美(建築家/39回生)
会 場 :日本女子大 新泉山館1階 大会議室
今回の林雅子賞は、
遠藤由佳さん「つながる境界−閉ざされていた学生寮が、地域へ溶け込む−」(PDF)と
高橋和佳子さん「荘だ、大森に住もう。−高橋荘の孫が提案する「荘」の未来−」(PDF)の
ダブル受賞でした。
第15回林雅子賞選定会のご報告
■総 論
2月18日(土)、2017年林雅子賞選定会が日本女子大学新泉山館大会議室にてとり行われた。審査委員長として手塚貴晴先生、また西田司先生、卒業生坂田恵美さんをお迎えし、17の応募作品が揃う中、各々のコンセプトシートと模型が展示された会場で設計者によるプレゼンと質疑応答が行われ、3人の選定委員による審査が行われた。
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| 審査では、林雅子賞の意義・評価基準を追求して全力で向き合ってくださる選定委員の先生方の熱意が漲り、今の建築界への課題意識を背景に建築の本質論へと迫る極めて重要かつ貴重な議論が交わされた。価値の見極めなく古いモノを残す“美談となる改修”が建築界で増加する昨今「“新しい建築”を創りたいという湧き出る想いがあってこそ建築家」という点について意見が交差する一方、「“魂スピリット”がこめられた新しい空間体験を生み出すことが建築家の仕事」という点では異議なく評価基準の核心とされた。 |
| 時間を延長して議論が続いた後、最終的に林雅子賞は史上初2つの作品に授与されることとなった。これは、建築界の環境変化の中で建築家のあり方を問うた結果であり、ある分岐点としての時代を象徴する出来事であろう。 |
| 最後に小川信子先生から「林雅子のスピリッツを感じた日本女子大の人が軽井沢寮を林先生に任せた。このスピリッツを皆さんも感じてほしい。今日、選定委員の先生方がこれほど情熱をかけて審査してくださったことには多くの意味が含まれている。この事をこれからの人生で決して忘れないでほしい」と、先生方への感謝の念と共に述べられ選定会が閉会となった。 |
※受賞作品については下記
■第15回林雅子賞受賞作品 梗概と評価
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| 〇遠藤由佳(えんどう ゆか)さん
「つながる境界ー閉ざされていた学生寮が、地域へ溶け込むー」
崩壊や見えない事の危険性を理由に、コンクリートブロック塀が設置されにくくなったことで、逆に住民生活が内へ内へと閉ざされていくことに問題意識を持ち、塀を取り払う以外の方法で街並みをよくすることを目的にした提案である。
対象は、コンクリートブロック塀や有刺鉄線で囲われた日本女子大学目白キャンパスの学生寮地区。新設塀に、通りがかった人がのぞきたくなるような窓を開けることで、塀内外が物理的には隔たりがあっても意識的なつながりを持つよう操作を施して緩やかにつなぎ、平穏に精神的つながりや交流が生まれる空間を実現した。
<評価>
・設計スピリッツを持つ点が高く評価。「内側を切り取ったように窓から動く絵が見えるといい」という想いが納得感を高めた。
・「塀はなくさない」を貫きながら「のぞきたくなる窓」を作る発想には、厳然たる“本女スピリッツ”も感じ取られ、「塀に窓をつける」設計は想像を超えたとも評された。
・周りのコンテクストもよく取り込み周辺環境がよくなることが想像できる提案とされた。
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| 〇高橋和佳子(たかはし わかこ)さん
「荘だ、大森に住もう。ー高橋荘の孫が提案する「荘」の未来ー」
祖父の所有する高橋荘を残したい思いがきっかけとなりながら、未だ規制が多く、利用者・運営者双方に高いハードルが存在する「民泊」を、住民生活になじませることを目的として提案が行われた。対象は、大森西に存在する高橋荘と周辺に点在する4つの荘。海苔、文豪、ものづくり、自転車、銭湯などの地域要素を機能化して各荘にちりばめるリノベーションを行い、住民と民泊宿泊者が荘を行き来するコミュニティを形成して生活の充実を狙う。
<評価>
・身体スケールで、どこに何があると良いかが考えられた作品。中をどう使ってほしいかまで考えが及ぶ一方、各荘を行き来する際のバランス感覚もよい。
・住まいに限らない、街との関わり方コンセプトもよい
・補強に際して発生した縁側など、空間体験を変える改修となっている。 |
| ■手塚選定委員特別賞
○米倉春采(よねくら はるな)さん
「城となる家並み ー集い、働き、住まう民主主義の城ー」
自身が生まれ育った町、佐倉を題材に、かつて城下町として栄えた町に、住民に愛される城を取り戻し、衰退しつつある町をリカバリーするという提案である。ただし、それはかつての形をした城を再現するといったことではなく、求心力のあるアイコンとして「大きな家である城」を提案。城は、現在の商店街にある魅力的な店舗を集めて積層することで構築。1階は大きな空間のピロティー、その上をカフェスペース、アンテナショップ、シェアハウス、ショートステイができるユニットなどのスペースがデッキでつながりながら展開され、城に住みながら、働くことや集うことができる空間を生み出し、大きな家である城が町のランドマークとなっている。選定会では、大きな家である城を迫力のある大きさの模型で表現。さらに模型の台座が回り、あらゆる角度から城の様子を見ることができる工夫もあり、会場を沸かせた。
<評価>
・模型にインパクトがあり、学生ならではのエネルギーがあふれる作品。
・自分が建物の中に入った時にどう感じるのかといったユーザビリティの視点も持って設計するとさらによくなるだろう。
・屋根の組み合わせや空間の重なりなど、楽しさが共感できる作品だった。 |
| ■西田選定委員特別賞
○村山愛(むらやま あい)さん
「こやごや暮らしー小屋で営むのびのびとした暮らしー」
目立った観光名所などがなく脚光を浴びることがない地域の今後の在り方を見出すために、消滅可能性都市に含まれた自身の地元、静岡県下田市を題材に、交流人口を増やすための提案を行った。この地では生業となっていた農業、炭焼き、蚕等の場として小屋が多く現存しており、母屋とは異なり、公共的な空間として機能していた。小屋を地域の空間的特徴と捉え、設計に取り込みながら、地域の各拠点に小さなパブリックスペースとして建築し、都市部の家族連れや農業体験希望者が訪れる農業体験施設とした。宿泊、交流、農業、耕作、加工などの場として6か所の小屋がつながりながら体験できる施設として設計を行った。
<評価>
・小屋の屋根の形状と傾斜との関係性がよかった。小屋の軒下は公共空間としているのもよく、斜面地の中でそれがよく表現されている。
・建物をつくる提案が少ない中で、建築をちゃんと作っているところが良かった。学生には建築をつくる喜びをもっと知ってほしいと思う。
・もっともデザインを感じる提案だった。模型で表している屋根のマテリアルも良かった。
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| ■阪田選定委員特別賞
○阿部祥子(あべ しょうこ)さん
「弓削ポタリングー民家における『はみだし』の増築ー」
美しい自然が残り、サイクリングロードやヨットが立ち寄る海の駅、カフェなどの観光スポットがある瀬戸内海の離島・弓削島が題材。島のサイクリングロードの途中に点在する4つの無住古民家を活用し、島全体をサイクリングからポタリングコースにすることで、新たな観光産業の創出を提案した。4つの古民家は、レンタサイクルの受付場所、郷土料理をふるまう食堂、文化体験館、宿泊施設として活用。それぞれの古民家の母屋は手を加えず、母屋から庭に向かって「はみだす」空間にルーバーを用い増築することで、母屋から人がはみだしてくる効果をもたらすほか、来訪者との交流の場となることを狙いとしている。
[ポタリング=のんびりぶらぶらする、自転車散歩]
<評価>
・「はみだす」という言葉は一種ネガティブワードであり、設計で「はみだし」ている空間は庇のみだが、はみだしたところに価値を生んでおり、シンプルなコンセプトがよかった。シンプルなところから生まれていく可能性が感じられた。
・「はみだし」には可能性がある。空き家がはみだすことで使われ方も変わり、外の空間も建築空間として使われている。
・例えば食堂のキッチンも外に出すなど、「はみだし」をもっと研ぎ澄ますとさらに新しい視点が見えてくる気がする。 |
長時間にわたる選定会となりましたが、盛会のうちに無事終了できましたこと、ご協力頂きました多くの皆様に心より感謝申し上げます。特にお忙しい中、選定委員長を務めてくださった手塚貴晴氏はじめ、西田司氏、阪田恵美氏の選定委員の方々に厚く御礼申し上げます。 また住居学科の先生方をはじめ関係者皆様のお力添えにもこの場を借りてお礼申し上げます。
(文責:HP係 河野典子、斉藤香子)
選定委員長より
手塚貴晴氏
昨今美談の卒業設計が多い。確かに美談は大切であるが、それが近年は建物を作らず改装すること自体が美談として蔓延り、建物を作ることが悪であるかのような論調が幅を利かせている。控えめなところが、昨今自信を失っている日本人の琴線をかき鳴らすらしい。昨年は修士設計の頂点である東京建築コレクションから建築がほぼ消えた。さらにこれは学生の世界ばかりではない。プロの世界の頂点である日本建築学会賞への応募作品まで現れ始めたのである。なんということだ。
冗談ではない。建築を作るのが建築家の仕事である。建築を作ることをやめたら建築家はいらない。建築は悪ではなく未来である。日本の街はまだ未完成である。戦後は終わっていない。建築は人を変え社会を変え国を前進させるのだ。今はどんな建物であろうと既存の建物を守れば美談としてもてはやされている。これは間違いである。優秀な建物を守り未来へと伝えて行くことは大切であるが、猫も杓子も大切に挙げ奉るのは間違いである。名作はそんなにゴロゴロしているものではない。
林雅子の作品は保存すべきであると思う。林雅子の作品には建築家の魂が宿っているからである。すると「建築には皆人の想いがこもっているのであるから皆大切である」という美談が帰ってくる。これは嘘であると思う。家は人間ではないのである。生きとし生ける人間は全て大切であるが、殆どの家は単なる物質の寄せ集めである。その単なる物理量の中にごく稀に魂が宿ることがある。これは歴史的事件であることもあるし、極めて研鑽された職人技であることもある。そして建築家の知恵であることもある。
建物の改装を甘く見てはいけない。改装は難しいのである。建築設計に優劣があるのと同様に、改装にも明確な優劣がある。建築家だからこそ持てる高尚な視点があるという態度は、インテリアデザイナーに対して失礼であろう。改装をするのであれば、詳細設計をするべきである。詳細のない改装設計は、窓のない建築設計と同程度に無意味である。改装設計をするのであれば、改装ならでは可能な明確なコンセプトを持つべきである。建築家が改装を手がけたという出来事だけで美談にするのは間違いである。
さて、その中で今年は二作品が林雅子賞となった。決着のつくことのない議論の果てである。高橋荘の改装に関しては、私は推すべき言葉を持たない。西田司さんにこの先を預けねばならない。しかし優秀な作品であることは間違いない。だからこそ、この学生には改装ではなく建築の設計を手がけて欲しいと思うのである。建築という世界には無限の地平が広がっている。これからもし大学院に行くのであれば、部屋に閉じこもらずもっと大きく羽ばたいてもらいたいのだ。
日本女子大学の女子寮に関してはいうべきところがある。これは日本女子大学だからこそ生存しうるガラパゴス設計である。今時塀に取り囲まれ社会と隔絶した寮を真剣に考える設計者がいようか。今は如何に建築の境界を溶かし去るのかを皆が取り組んでいる時代である。しかし良いのである。ここは日本女子大学なのだから。インドのジャイプールにハワマハル(風の宮殿)という建築がある。要は単なる窓付きの壁なのであるが、それが幾層にも連なり例えようもなく軽快なレース模様を空へと描いている。その向こうには市井には決して踏み入れたことのない高貴な女性達がいて、窓の外の景色をそっと伺っているのだ。講評会の時一人の学生が呟いていた。「外から来るのは嫌。必要なら自分で探しに行くから」。なるほど的を得ている。日本女子大学恐るべしである。私には2歳の時に児童研究所に入って、大学を卒業するまで日本女子大学で育った可愛い7つ下の妹がいる。既に46才のおばさんであるが、とても要領がよく、いつも人生を巧みに生きている。ダンナは日本女子大学のテニスサークルで見つけた東大生で、今は東大教授になっている。なるほど!そういうことだったのか。
手塚 貴晴
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