【今こそつながろうプロジェクト】南房総と東京より~二拠点居住とコロナとその後~

緊急事態宣言が延長されさらに息苦しさを感じられている方も多いかと思います。今回のつなプロは9月の交流会にパネラーとしてご登壇いただいた馬場未織さん(46回生)です。昨今のコロナ禍で郊外移住が注目されていますが、馬場さんはかなり前から郊外と都心を行き来する生活を続けていらっしゃいます。その生活や、コロナ禍での思いをつづってくださいました。是非お読みください。

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■馬場未織さん 46回生
建築ライター 2007年より「平日は東京、週末は南房総の里山で暮らす」という二地域居住を実践、2011年NPO法人南房総リパブリック設立。親子の自然体験学習の場としての『里山学校』、断熱改修を学ぶ『南房総DIYエコリノベワークショップ』、空き公共施設を活用した『旧平群小学校群再生事業』など手掛ける。著書に『週末は田舎暮らし』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く住まいの金融と税制』(学芸出版社)など
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家族で二拠点居住を始めてから15年目に突入しました。3年ほどの土地探しを経て2007年に南房総に8700坪の土地に巡り合って以降、週末は基本的に南房総で暮らしています。日のあるうちは里山の野良仕事を楽しみ、半島南端の海に親しみ、夜になると築130年の農家で雑魚寝。2人だった子供は3人に増え、生きもの大好きな幼児だった長男は今大学2年生です。彼は家族で来るより(親のいない時に)友達とここに来て、サーフィンや釣りや麻雀などを楽しんでいるようです。

2011年にNPO法人南房総リパブリックを発足してからは特に南房総でも知人友人が多くでき、まるで故郷のように親しみ深く暮らしていました。が、昨年に新型コロナウイルス感染拡大により緊急事態宣言が出されてから“感染者の多い都心に暮らす自分たちが南房総に行ってもいいのか?”という葛藤が生まれました。「ご近所に嫌がられない?」「県外ナンバーで走って白い目で見られない?」などという心配の声もいただきました。結果的にわたしたち家族は、緊急事態宣言下でもこの暮らしはつづけています。車で自宅と自宅の間を往復すること自体は問題がないわけで、外食や友人との接触を控えることで感染リスクは限りなく0にできると考えたからです。また、SNSやニュースなどで「県外の人は迷惑」といった声が聞かれる社会的風潮と、実際に自分のご近所さんの対応はまったく乖離していました。近くで話をすることはなくても、遠くから「おーい!」と手を振り合ったり、うちの道の真ん中に野菜の差し入れが置いてあったりと、非接触の交流は続いていましたから。

わたしたちは、自分の大事にしている地域に感染が広がってほしくないと心から思っています。そして、そうだろうなということを地元の人たちもおそらく分かってくれているのだと思います。それが信頼関係であり、日常から普通に積み上げてきた信頼関係があれば軋轢は生まれないんだなあということを実感している日々です。一方で、「万が一のことがあったらみおりさん一家が疑われてしまうからよぉ」と、地域の共同作業の草刈りなどは免除されています。これは村八分ではなく配慮であり、恐縮しつつお言葉に甘えているのですが、わたしの分の労働は集落の人たちが負担することになります。こういう時に二拠点居住者は役立たずになってしまうのだなあ……と不甲斐なさを感じます。

リモートワークやワーケーションという超マニアックだった働き方が突然脚光を浴びることになり、並行して二拠点生活を始める人や検討する人も急激に増え始めています。国交省は今年3月に「全国二地域居住等促進協議会(仮)」を立ち上げ、国や自治体がこの動きを後押しすることになるようです。空き家問題の解決、関係人口増加による地方創生、大企業の弱体化を補完する副業の斡旋など多方面から期待が寄せられています。わたし自身もこの協議会に携わっていますし、関係する新しい事業も立ち上げたりしていますが、こんな追い風の中でどうしても抜け落ちてはならないことを確認しなければとも思っています。それは、地方は“使う”ところではなく“つくる”ところであるということ。地方は都市で実現できないことを実現する場として有用に見えるかもしれませんが、根底に「ダメなら去ればいい」といった思いが見え隠れしている時、大きな違和感を感じます。だってそうでしょう、無責任な個人や企業が押し寄せて、やっぱりやめたとさっさと帰っていくようなことが頻繁に起これば、地方は傷つき、消耗します。これまでも地方は、幾多の“去られる”経験を重ねてきていますしね。急で軽やかで大きなブームの到来は、そんな危機感と表裏一体です。

・2019年台風15・19・21号被災時より続けている農業ボランティアの様子

 

“地方”といった大括りの呼称を使う時、そこに暮らす人の顔は浮かばないものです。それが「南房総」とか「三芳地区」と具体的になればなるほど、その土地にいる友人知人の顔や日々の営みがありありと浮かぶようになります。そうすると、雑な提案はできないと感じるようになります。都市の当事者であると同時に地方の当事者でもある二拠点居住者は、地方のチャンスメーカーにもなりえますし、場合によっては早く危険を察知して盾になる必要もあります。
これまでわたしは、地元の人たちが気付いていないけれど都市生活者にとっては価値があることを再発見して伝える役割を担ってきました。いざ二拠点居住への追い風が本格化してきた今、今度は細やかな想像力をもって地方をいためないで本質的に豊かにしていく方法を考える役割をも担うことになるだろうと考えています。

いやはや、こんな時代が来るとは思いませんでした。14年前に二拠点生活を始めた頃は、そんな無謀な生活続きっこないとか、田舎に家なんか買って無駄遣いだとか、仕事に支障が出るとか、いろいろ言われていましたからね。今では『マツコ会議』で二拠点生活がとりあげられ、マツコから「アリだわね!こういう生活も」といわれるようになりました。それでも実際には、二拠点生活者の人口はまだ微々たるもの。これから伸びしろのある、課題もある、本当に魅力的なライフスタイルだと思っています。

・被災復興支援で昨年12月に館山市布良という港町の廃校で開催した映画イベント「港シネマ」