出版情報&トークイベントのご案内:『パブリックライフ』馬場未織さん

馬場未織さん(46回生)が『パブリックライフ —人とまちが育つ共同住宅・飲食店・公園・ストリート』を出版されました。詳しくは、コチラからご確認下さい。ご購入はこちらのサイトへどうぞ。

また刊行を記念したイベントも開催されます。

『パブリックライフ』刊行記念 青木純×馬場未織×馬場正尊トークイベント 「公園とストリートからまちを変える」

◆日時・場所:2024年5月10日(金)19:30開始 池袋ジュンク堂にて
◆詳細→ジュンク堂WEBサイト
お申し込みフォーム(上記ジュンク堂のサイトからは申し込めません。)


以下馬場さんより出版によせて、共著者としての関わり方についてコメントをいただきました。


「パブリックライフ」の書き方

「パブリックライフ」(学芸出版社)は青木純さんと馬場未織の共著になっています。内容は、青木さんの自伝+関係者へのインタビューです。

「僕は、」と一人称で語る文章をわたしが綴っていますから、一般的にはわたしはゴーストライターという立場になるんだと思います。青木さんは当初から「共著にしよう」と言ってくれていました。オバケにならず、名前を連ねることができて本当に嬉しいです。

6年もかけて、どういう風に書いてきたか。

あとがきにも書きましたが、この本は青木さんとの対話の蓄積そのものです。
毎回、彼の家である青豆ハウス(たまに我が家)にて、2時間~3時間くらいじっくりと話を聞きます。わたしの膝には青木家の最長老の猫ピピが乗っかってくれたり、妻の千春ちゃんがお茶を出してくれたり。コロナ禍でも会い続けました。そしてピピが亡くなりました。息子さんも見るごとに大きくなり、遠い高校へと旅立っていきました。彼が暮らす環境に寄り添い、帰り道はいつも胸いっぱいでした。

そんな光景とともに、対話の記憶を丸ごと持ち帰ります。
話した直後は頭がまとまりません。時間をかけてゆっくりと、聞いたことが上澄みと沈殿物に分かれるのを待ち、さらに内容を熟成させます。彼に起こったことの中で何が大事だったのか。どうしてそうなったのか。彼の見ていた光景は。その光景を外から見ている人にはどう見えただろうか。それらが立体的に見えてきたら、言葉を紡いでいく。テープ起こしは事実確認以外ほぼしません。その時青木さんが伝えた言葉以上に、真実を伝える言葉があると思っているからです。

なんというか、青木さんは生存しているんですが、わたしは青木さんのイタコになっているかんじです。

書いたものを青木さんに確認してもらう時は、本人の思いとズレていないだろうかと緊張します。でも本気で対話してきたから、大きくずれていない自信はありました。そして実際、ほぼずれていなかった。(と彼は言ってくれている。)

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関係者へのインタビュー部分については、青木さんのイタコを脱ぎ捨て、プレーンな取材者として話を聞きました。「パブリックライフ」という本が青木さんのひとりよがりにならないための大事な大事な部分です。取材時には、青木さんは不在。インタビュイーの方々の「本当の考え」を聞くのが勝負。そして青木さんの「パブリックライフ」の状況が多面的に見えてくる瞬間です。

取材したいのは青木さん関連のことだけれど、そこにいるのは「青木さんの関係者」ではなく、強烈に自分自身を生きるひとりひとりでした。そういう意味で、この本は青木さんの自伝でありながら、登場人物全員が主体的に生きる人々であることも伝えられているんじゃないかなと思います。

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しかし6年はかかりすぎです。
あとがきには「コロナ禍が長引いて」みたいなことを書きましたけれど、実際はそれだけじゃないです。特にコロナ以前においてはわたしが元凶。執筆が進まない時間も長かったですから。

進まないのは、上記でいう熟成中につまづいてしまう時でした。わたしは青木さんではないので、分かっているようで真に理解していないことがあるとつっかえちゃう。また、自分の身にいろいろ起きている時も熟考に当たれずに筆が止まっていました。

青木さん、ずいぶんやきもきしたと思います。それなのにわたしを責めることなく、辛抱強く待ってくれました。ありがたさと心苦しさで眠れない日も少なくなかったです。(だいたい年越しのタイミングで苦しくなる、、)

青木さんの言葉をそのまま文字化すれば(彼はいい言葉をたくさん持っているので)あるいは3-4年くらい早く出版できたかもしれない。ひょっとしたら「ライターは謙虚にインタビューのまま書けよ」というご批判もあるかもしれないです。この本に関しては、ともかくわたしはそういう方法で書いてしまった。

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刊行してみて思うのは、生身の人間同士が対話を重ね続けてあるボリュームの「本を書く」ということは、お互いにとってプラスしかない。ということです。

ある時は相談。
ある時は応援。
ある時は思索。

それが全部入ったのが「本を書く」ということだったなと思います。この本が多くの人々に届き、我々の熱量とともに本質が伝わっていけば、こんなに嬉しいことはないです。

そしてこうした本づくりはAIにとって代わられないと確信します。当たり前だよな。こんなやり方効率悪いもんな。

ネタバレしないように内容には触れず、本の書き方について書きました。

長々読んでくださってありがとう。