林雅子賞は、日本女子大学家政学部生活芸術科住居専攻(1962年より家政学部住居学科)の第一期生である国際的建築家林雅子先生を記念し、優れた女性建築家の育成と本学住居学科の発展のために、2002年に「住居の会」により創設されました。 受賞者には賞状が贈呈されます。
林雅子賞について 建築家 林 昌ニ
「林 雅子賞」の創設にお礼とお祝いを申し上げます。
雅子は1928年に北海道・旭川に生まれ、高等女学校までを北海道で過ごしたのち上京して日本女子大学に入学、在学中に生まれた生活芸術科住居専攻の1回生として卒業したのでした。
戦前、女性の針路は常識的に教師と医者程度に限られていましたから、雅子も最初は医者を目指していたようでしたが、現実はさらに厳しく、戦争中のため、学校工場で軍需品の仕事を課されていた状態でした。いつまで学生でいられるかも分からなかったのです。戦後、女子大に住居専攻が誕生し、新たな道が開かれたことは、雅子は喜び勇んでその道に進んだのでした。
1回生の前途には、なんの足跡も記されていません。全く自由である反面、先達がいないのは不便なことです。男性ばかりの建築の世界の中で存在を認めさせること、女性として習慣的に強いられる負担を解決してゆくことなど、前途は障害に満ちていました。
雅子のやり方は、笑顔で相手に接しながら、正攻法を外さず、粘り強く説得して道を開かせるというものでした。設計については論理を大切にし、させることを心掛けました。実績が増すにつれてファンが増え、少しづつ道が開かれてゆきましたが、女子大の先輩たちから信頼を受け、応援を頂いたことが力になったと、感謝していました。
雅子が遺した仕事は200件ほどで、その殆どは特定の個人からの注文による戸建て住宅でした。しかし仕事の範囲が住宅に限られたことは、雅子には不満ではありませんでした。充分にやり甲斐のある仕事でしたし、建築の本質は住宅にあることを知っていたからです。大規模な公共施設だけが建築であるような思想は、国家のための技術者を養成して欧米に追いつこうとした大学建築学科の不幸な出自によると、私は考えています。それに較べると、生活に根ざして住居を考える日本女子大学住居学科の発想は、はるかに健康であり、進歩的でもあります。私はむしろ、すべての建築は生活の場として捉えるのが正しいと考えています。
1回生には、責任があります。雅子は母校の期待にお応えして、長年にわたって講師として設計の指導にあたってきました。その中から何人もの素晴らしい設計者が生まれたことは素敵なことです。今や建築界で日本女子大学住居学科の存在を知らない者はいませんし、卒業生間のネットワークは比類のないものでもあります。
住居学科の設計の力をさらに伸ばす刺激として役立つよう、他校にあるような顕彰制度を残すことも、1回生の役割りではないかと感じ、僭越ながらこの賞の創設について先生方にご相談申し上げたところ、快く賛同をいただき、林雅子賞を創設できましたことを、心から嬉しく思っております。この賞を贈られる方々が、大活躍してゆかれることを、雅子は見守っていることと想像しております
住居の会の皆様のますますのご活躍を祈ります。
(出典:住居の会だより 2002(平成14)年 10月号)