横につながりながら、それぞれが当事者の意識をもった女性型のリーダーシップを
今年度5月より、住居学科教授の篠原聡子先生が学長に就任されました。
住居学科卒業生である建築家、妹島和世氏が手がける目白キャンパスのグランドデザインに代表される創立120周年記念事業の建築部門もご担当の篠原先生にこれからのビジョンやリーダーシップについて語っていただきました。
―学長として今後の計画や活動指針として大事にしていること、楽しみにしていることをお聞かせください。
学長就任後も創立120周年記念事業の建築部門を兼務しています。
今回、目白通りを挟んだ向こう側に図書館が完成し、不忍通りを挟んだ向こう側に新しい体育館が建設され、通り沿いには学生棟ができます。その学生棟と、目白通り沿いの図書館というのは分断されているという考え方もあるけれど、それぞれが道に面しているのでこれからの学校の顔がたくさんできるというとらえ方もできます。大学の活動を発信し地域連携をしていくことを楽しみにしています。
研究や教育の部門においては、来年から人間社会学部が移転し、家政学部や文学部、理学部の四学部が揃い総合大学になります。学部学科を外から見て分かりやすく、競争力のあるかたちに再編していこうという継続してきたテーマをいよいよ実現させる段階に入っています。
家政学部については、その名称も含めて長らく議論されています。家政学は、産業革命により環境が汚染されたときに各家庭や個人の単位でそうした自覚をしないと世の中がだめになるというのがアメリカで家政学という分野ができたきっかけの一つなのですが、そのコンセプトは今の時代においても全く古くなく、生活者としてまず社会や環境に皮膚感覚できちんと問題意識と知識を持つことがとても重要です。そうした考えは社会に出てビジネスをする際の根幹でもあるので、家政学は現代的な意味をもつものですが、名称に誤解を与えるところがあるのが悩みどころです。
文科省の方針によって学長に権限が集約してきているなかで、私の活動指針としてはリーダーシップをとりつつも、本学の特徴でもある開かれた議論と透明性をもって物事を進めていきたいと思っています。
―これからの時代において、日本女子大の存在意義や、女性ならではのリーダーシップをどのようにお考えですか。
共学にたくさん女性が行くようになった時代における女子大学の意味や意義については、立場上、発言を求められることが多く、色々と考えさせられます。日本はまだまだ女性に対する社会の意識が低く、高学歴で就職しても現場では管理職、マネージャークラスは少ないという現状があります。ある一定期間ですが、女子大学のようなジェンダーフリーの環境で学生が教育されることは、その後の人生にもインパクトがあると思っています。
女性ならではのリーダーシップについてですが、学生たちを見ていると、誰かが強烈にトップダウンで決めてドンと下に降ろすのではない連携の仕方が一つの特徴としてあります。リーダーを決めたとしても、比較的フラットな関係をつくって物事を進めていき、それぞれが当事者意識を持ちながら自律して連携できる。これは、物事が急速に成長し拡大してクイックレスポンスだけが求められる時代には向かないかもしれません。しかし、日本のように成熟社会になり百年生きる時代になると、こういう女性型のリーダーシップ、つまり横につながりながら、それぞれが当事者の意識をもっていることは重要なことです。
―日本女子大学ホームページの学長メッセージに「新たな価値観を創造するときを迎えている」とありますが、既成概念にとらわれない新しい変革のイメージを住居学科にフォーカスしてお聞かせください。
住まいそのものが生産と再生産のうち、再生産だけを請け負っていた時代から、そこでも働き、そこでも休息し、そこでも楽しむことを要求されている時代を迎えて住まいの周辺をもう一度見直す機会になると私は思っています。家の周りをぐるぐる歩いたり、(運営している)シェアハウスを訪ねたりすると、遠くにはいけないけれど、住居そのものはもちろん重要であり、その周りがあることが生活を豊かにするのだと感じました。
新型コロナウィルスの影響で引きこもっている間にもう一度、自分の足もとや日常を見てみると、非日常というものは日常と反対というよりは、日常の中で蓋をされているものが出てくるような感じがしました。その時に気づいた、住むことの質や住環境から得たものを、もう少しうまく発信できないかなという気がしています。今までの効率性や機能性ではないもの、いわゆる不要不急のものこそ実は価値があると感じ、建築家としてももう一度、自分の住居の設計を通して、住宅を楽しくしたいと思っています。
―トランスジェンダーの方を4年後から受け入れると新聞などで報道されていますが、世界の動きに合わせて多様性を求めていくということでしょうか。
この問題は、実は数年前に附属の中学校の受験からはじまったのですが、まずは大学からということで、大学にダイバーシティー委員会というのができ、勉強をはじめました。時代の流れ、アメリカの女子大学の流れもあり、国内ではお茶の水女子大学などいくつかの大学ではすでに開いており、先陣ではないのですが、多方面から意見を収集し研修会や勉強会を開いたりしてコンセンサスを作りながらやってきて今回の決定となりました。
私は、女子大学というのはコンセプトだと思っていて、自分は女性であると思い、ここで学びたいと思う人にはできるだけ入ってきてほしいです。
4年後にしたのは、全ての学生や大学関係者に浸透した上で新しい状況をつくるためです。
―建築家・教育研究者・学長としてのアイデンティティーが一致するところ、または意識して切り換えているところはあるのでしょうか。
建築家としては、共通するところもかなりあります。今のようなプロジェクトを推進していこうとなると、与条件を整理し、関係者の協力を仰ぎ、アイデアを実現していくというのは、建築の仕事とけっこう似ていると思っています。本学の歴史において、実務家教員が学長になった前例はないので、このタイミングで私が就任したのはそういう仕事をしなさいということだと思っています。
教育者・研究者としても、学長の仕事でも、常に一番重要なことは、在学生が安心してワクワクしながら学べる十全な環境を整えることです。
一番違うところは、特に女子大の場合、女性が学長になると、ロールモデルになることが求められることだと思います。建築家としては、建築を通して発信しているので、一番の主役は建築です。建築に何かを語らせたり自分たちが文章つけたりはしますが、学長の場合は本人が語らなくてはいけないのが結構違うところで、戸惑いや大変さを感じます。
―学長ご自身の学生の時代と今の学生では、例えばインターネット環境などで違いを感じるのはどのようなところでしょうか。
今回の新型コロナウィルス感染症の対応で前期は全部リモート授業になりました。大学としてはこのような状況の経験が今までない中、講義を録画したりアップロードしたり、学生とのエスキースもオンラインの画面上で行うなど試行錯誤でした。通信状態が悪い場合もありましたが、学生たちはさすがデジタルネイティブの年代なので特に問題はなく進むという状況には驚きました。デジタルのスキルは上がっていますが、心配な点はインターネット等で何でも情報を得ることができるので、その外側、反対側、向こう側にリアルな人がいて様々な状況を背負っているということが、ひょっとしたら分からなくなってしまうのではないか、ということです。こういう時期だからこそ、実際にその場所に行ったり体感したりということを経験してもらわなければなりません。
一方で、住居学科の学生達の気質には脈々としたものがあるように思います。大変だと分かって覚悟して入ってくるからかもしれません。逆に言うと合わないと1年生から2年生でやめてしまう学生もいます。
―新型コロナウィルス期間中でのご家庭内の様子や変化を差支えなければお聞かせください。また、そこから見えたアフターコロナ後の住宅や建築のあり方などがあればそれもお聞かせください。
私は自宅と下の事務所を行ったり来たりしていて、そんなに変わらない生活をしていたつもりでした。今まで、連れ合い(隈氏)は海外に行って自宅にいないことが多かったので、家中が私のテリトリーで、例えばダイニングテーブルにいろいろ並べ書斎もぐちゃぐちゃにして全部が王国だったのですが、連れ合いがいるようになって二人が同時に家の中で仕事をしなければならない状況になると、片付けて自分の領土を縮小しなければならないので住まい方を考える機会にはなったと思っています。
この先、住まいに求めるものが少し変わってくると感じています。特に集合住宅の仕事は、共用空間に内でも外でもない第3の場所があるといいなとか、そういうことで住居の質みたいなものが変わると思いました。家にいるといろいろ目につくので、テラスを改修しようと計画が始まったりしていますが、また忙しくなると忘れるかもしれません。
―ご子息がいらっしゃると伺っていますが、建築の話などされるのでしょうか。
家族では結構建築の話ばかりしていますね。なんというか、全員が八百屋さんの家族みたいな感じです。八百屋が寄り集まれば話題は基本的に野菜になるので、その範囲できゅうりやなすの話をしているような感じです
―お子さんを育て、教授になり、そして学長になり、女性の生き方としてご苦労されたところはどのようなところでしょうか。
私の場合は、使えるものは全て使いました。実は、私の家は妹の家と2世帯住宅です。内部階段でつながっていて、息子は妹のところでご飯を食べていました。カッコウの托卵と言われているのですが、他人の巣に卵を産み付けてしまった感じです。義母に来てもらったり、うちの親のところに夏休みの間行ったり、とにかく人の手を借りたので、環境によく適応する子に育ちました。
大変なことはたくさんあったかもしれないけれど、忘れましたね。でも、人の手を借りてばかりではダメ。妹にも三人子供がいて、妹がお酒を飲んで先に寝てしまったあとにそのうちの一人の子が私の寝室まで入ってきて具合が悪いと言うので、抱きかかえて病院に連れて行ったこともあります。多人数で住んでいたので、いろいろ支え合うことができたことは、ラッキーだったと思います。仕事をしていく上では非常に助かりましたし、連れ合いもそこそこは役に立ちましたが。
私の母は、実は日本女子大の附属高校の卒業生です。子育てで大変な時期や受験の時に、もう少し自分が労力をかければ子供の成績がもう少し上がるのではないかと思って母に相談すると、そんなことをするとあなた自身が子供の重荷になるからやめた方がいいわよ、と言われました。信念徹底の人ですね。
―住居の会の魅力、そして今後の課題や魅力アップのためのアイデアなどあればお願いします。
同窓会はとてもありがたいし、桜楓会も住居の会も学生の財産になっていくと思います。しかし、両方とも会費の納入率が下がっているのが残念なところです。自分に直接的なメリットがあることしか参加しないという発想ではなく、自分がしてもらったことを自分が返さないとダメだということを伝えていく必要があると思います。例えばゼミで各先生から住居の会の重要性や住居学科の学年をこえたネットワークに助けられていることを伝えてもらう、とか。
住居の会の魅力をアップして活動を活発化させるために、デジタルの時代をうまく利用しない手はないと思います。例えばホームページの企画として様々な方との対談をシリーズ化していったり、Zoomで撮った動画でもいいのですが、「ウィズコロナと就職」とか社会的な時事ネタでもテーマを決めて色々な人に話を聞いたり、住居の学生が興味ありそうなコンテンツを配信していくのもいいかもしれないですね。低予算でいけると思います。このような発信をどんどんしていくことで学生と卒業生の双方が横と縦の両方向につながっていく、その役割が住居の会に今後益々求められていると思いますし、そのように活動していかないといけないと思います。
日本女子大学 学長
篠原 聡子
昭和33年(1958)生まれ。千葉県東金市出身。
1981年日本女子大学住居学科卒業。日本女子大学大学院、香山アトリエを経て、1986年空間研究所設立。
1997年日本女子大学住居学科専任講師、助教授を経て2010年より日本女子大学住居学科教授。
2020年5月より現職。