【今こそつながろうプロジェクト】イタリア、ヴェネツィアより

新型コロナ感染拡大の影響で心細い日々を過ごしていらっしゃる会員の皆様へ。
このような時こそ、つながっていきましょう!
日本でも状況が厳しくなる中、海外で暮らす同窓の方々の【今】を届けていただきました。(執行部)

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■ 小山 壽美子さん 44回生/鈴木ゼミ/イタリア、ヴェネツィア在住
家政学部住居学科卒業後、不動産会社勤務。11年間勤めた後、2006年よりイタリア、ヴェネツィア建築大学に聴講生として留学。その後現地にてヴェネツィアのインバウンドを取扱う旅行エージェント勤務、アテンド通訳アシスタント業務。
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国や自治体の建物がこの時期トリコローレにライトアップされていた
国や自治体の建物がこの時期トリコローレにライトアップされていた

現在では感染者数こそアメリカ、スペインに次いで3位ではあるものの、死者数は現在でも依然として世界一位のイタリア(2020年4月10日現在)。北部ロンバルディア州の状況は深刻で、多くの死亡者を出したベルガモという街では街の中の墓地に棺が納め切れず、他の街の墓地に棺を運び出す為に、軍用トラックが夜間続々と街に到着する・・・イタリア全土に衝撃を与えたこの映像を日本の報道でご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません。

 欧州そして世界で最初に国全体のロックダウンに踏み切ったイタリア。依然厳しい状況が続くこの国の北部ヴェネツィアでの生活を、一生活者の視点からこの場をお借りしてお伝えする事で、少しでも日本で生活する皆様の参考になればと思い、ここに寄稿させて頂きました。
 
 私が暮らすヴェネツィアは、イタリア北部のヴェネト州の州都で、本島はイタリア本土とは一本の橋(線路と車道が並行している)で結ばれています。現在イタリアの中でヴェネト州の感染者数は4番目となっています。

 世界に知られたヴェネツィアのカーニバルですが、今年2月のカーニバルは今までにないものとなりました。コロナウイルスへの緊急対応で、カーニバルが最終日まで行われずに2月23日をもって突然中止になったのです。カトリック国のイタリアで、カーニバルは宗教上の大きなイベントの一つです。それが突然中止になった、しかも午後に発令、翌日から実施という急な展開は、ヴェネツィア市民を驚かせました。

 その後3月8日からはヴェネツィアが封鎖され(街の外への出入りが禁止)、翌9日にはイタリア全土で移動禁止令が出、8日夜には北部から中南部の故郷へ帰ろうとする人達で鉄道駅が溢れ返りました。(それが中南部への感染拡大の懸念にもなりました。)正に急展開、でした。あれよあれよという間に自分の生活環境が変わり、制限されていくのを実感しました。

 3月11日には外出禁止令が政府から発令、原則国民は家にいること。店舗に関しても、最低限必要な業種以外は営業を停止。その後も日々刻々と外禁令の内容が状況に応じて厳しい内容に更新されていきました。国の命令や通達が基本となり、州ごとに(状況が異なるので)通達が出され、国民は国と州の通達に従う事が義務となります。

 それらの決定、発令、施行のプロセスは驚く程スピーディーで、夜のニュースで発表を知ると、翌朝には施行されます。こうして状況に合わせてどんどん内容が変わり、厳しくなっています。この決定発令施行の速さは、緊急時には必要であると思うと同時に、戦時中に刻々とそして簡単に生活が緊縮していく状況に似ているのかもしれないな、と感じさせられます。

 私が暮らすヴェネツィアは観光業に依存した街ですので、その経済的影響は壊滅的なものがあります。回復がいつになるのか。また、どれだけの中小規模の店や工房が回復後も再開する事ができるか、と報じられています。

 ニュースや新聞では、無人になった観光地、広場や通り、シャッターの下りた店の並ぶ街を写しながら、「Deserto」という表現が使われています。イタリア語で砂漠、という意味です。無人で、砂漠の様になってしまった街。

往来が激減した大運河。リアルト橋からの眺め
往来が激減した大運河。リアルト橋からの眺め

シャッターの閉まった店が並ぶ通り。リアルト橋近くにて
シャッターの閉まった店が並ぶ通り。リアルト橋近くにて

 「家から出るな」という国レベルの外出禁止令、その状況下にいらっしゃらない方には中々想像が難しいかと思いますので、簡単にご説明します。この文を読んでくださっている皆様、宜しければ「もし自分の生活が急にこう変わったら」とイメージしてみてください。少し実感が湧くかもしれません。

 まず、以下の内容は「自粛」ではありません。「命令」です。つまり違反すれば懲罰の対象になります。

 内容は具体的です。必要最低限の外出(食料の調達、薬局に行く等)は一日一回まで、2人以上で行かないこと。外出の際は、必ず目的や現住所を記入した証明書(書式があります)を携帯すること。警察や軍兵が巡回しコントロールを行い、違反の場合には罰則(罰金や懲役)対象になります。いつ何時も対人距離を最低1m確保すること。犬の散歩は、自宅から200m範囲でのみ可能(これも1人で出る、対人距離は常に確保する)。買い物も、遠くの店に行く事は認められません。情報の入手は確保されるべきという観点から、新聞を販売するキオスクへ行くのは可。ヴェネト州では、店に行く際にはマスクと手袋の着用が義務付けられています。屋外でのスポーツ、ジョギング等は禁止。もし自宅で隔離期間にある人が(陰性であれ陽性であれ)外出した場合には「殺人罪」として懲罰対象になります。

 スーパーや食料品店や薬局の入口では、1m以上の間隔を開けて入店の順番を待ちます。店内での対人距離の確保の為、店内に入れる人数は僅かですが、客はそれを粛々と守って屋外で点々と待っています。万が一その店の店員が利用客から感染すると、その店は(一時的にとしても)営業が出来なくなり、自分の食料調達にもリスクになるのです。商品に触れる場合も、手袋を着用した上で触れます。

スーパーマーケットの前に距離を保ちつつ並んで入店を待つ人々
スーパーマーケットの前に距離を保ちつつ並んで入店を待つ人々

 ちなみに、私が暮らすエリアでは、特にスーパーでの品切れもパニックによる買い占めもありませんでした。トイレットペーパーもパスタも、問題なく手に入っています。ヴェネツィアは車が無い街で、橋も多く、建物が(街全体が世界遺産です)古くエレベーターの無いアパートが多い為、買ったものを自力で(もしくは自力と船で)家まで運ばなくてはいけません。つまり一日一度が限度とされる買出しでも、自分が持ち運べる分量しか買えない訳で、大量の買い占めが見られないのも、もしかしたらヴェネツィアという街の特殊な構造にも一因があるのかもしれません。「食は確保」という政府の明言がある事は前提ですが、「心配だから買い占める」という意識が頭に上らないのは、商品が品切れになっていない状況を見ると、私だけではない様です。

 屋外市場では、入口が1ヶ所に限られ、そこでビニール手袋が渡され、その場で着用しなくてはなりません。何人もの警官が出入口と市場の中を巡回し、マスク手袋の着用と対人距離をコントロールしています。この状況を前にして私が思うのは、「日本では、人の混雑を徹底的にコントロールする場合、現場で誰がどうするのだろう?」という事です。警察と自衛隊なのか。現場をコントロールする要員はそもそも確保できるのか。自粛という懲罰を科さない方法で、どこまで徹底して個人が対人距離を守って生活するのか、それでどこまで感染が防止できるのか・・・。

市場をコントロールする警察官達
市場をコントロールする警察官達

 この外禁令や各施設の閉鎖によって私が出来なくなったことがどれだけあるでしょうか。観光業の為、ヴェネツィア封鎖の段階でまず仕事が無くなりました。外出禁止ですから、この1ヶ月の間、友人知人、職場の同僚には直接会えていません。一人暮らし(同居者がいない)なので、つまりこの1ヶ月間は1m以内の距離で人と接していないことになります。ジョギングもジム通いも、映画館や劇場に行くことも、ヘアカットにも歯医者にも行けません。花屋が休業し、家からは花の彩りが無くなりました。アペリティーボでお喋りすることも、カフェでエスプレッソ1杯立ち飲みすることすらもう出来ません。

 ここに改めて書いてみると、短期間での自分の生活のあまりに急激な変わり様を実感します。でも今は不便だと言っている場合ではない状況であることも。

 食料は調達可能で、電気もガスも使え、お湯も出る。ゴミ収集もあるし、郵便配達もストップしていない。生活に必要なインフラは確保されています。政府が最低限の物流は止めない、と確約しています。その中で、何があれば生活できるのか。そしてそれらを国民に供給する為に、感染リスクのある中で働き続けている人達がいること。今までは当たり前と思っている事に目が向く様になりました。

 この状況でインターネットが使えるのはありがたい。対面で人と会えない上に一人暮らしという状況で、ビデオ通話やチャットで人とコミュニケートを取ることが出来る事のありがたさ。日本の友人達も度々コンタクトを取ってくれます。情報も、紙媒体の他、新聞のオンライン情報を確認することが出来ます。イタリア語(全国紙でイタリア国内の状況を、地方紙ではヴェネト州の状況をチェック)、英語、日本語のニュースを並行してチェックするようにしていますが、世界各国の状況についてはやはり英語媒体は早く幅広く状況を確認できると感じます。日本語媒体は、海外の情報については数値や断片的な情報は伝わるものの、(仕方がないことかもしれませんが)情報ががっさりし過ぎているというか、コロナウイルスに関しては逼迫した海外のリアルタイムとの温度差がある印象を受けます。

 もうひとつ外禁の日常生活の中で「さすがだ」と唸ることがあります。それは「食」です。娯楽施設が全てクローズした現在、外出したところで開いているのは食料品店ばかり。そうなると、「家から出るな」と言われた多くのイタリア人が市場に行って食材を買い、ここぞとばかりに家で「作ること」と「食べること」に精を出し始める・・・のは、当然の流れかもしれません。

 スーパーの商品の中で、レトルト食品はそれ程多く売れていませんし、品切れにもなりません。イタリアでは、「レンジでチン」という調理(といっていいのかどうか)法自体が生活に組み込まれていない、言い換えれば生活に無くてもいいという認識、の家は多いのです。結果、電子レンジの無い家も多く、スーパーでよく売れるのは、レトルト食品ではなく、小麦粉やパスタです。家にいて、家族も一緒で、料理に腕を奮う時間がたっぷりあるこの外出禁止の状況で、レトルト食品が売れる理由は、ここではあまり無さそうです。

 先日、職場の若い同僚から送られて来た写メールは、彼のお父さん(ちなみにお父さんの職業はゴンドリエーレ、観光客がいない今は仕事がありません)が作ったという見事なフランスパン。その2日後には近所に住む別の同僚からお手製パンのお裾分けが。その数日後にはまた別の近所の友人から魚介のラザニアが、美味しいサラダが、イカ墨の煮込みが、またラザニア(今度は野菜の)が・・・。結果、私は外禁令が出てからほぼ2~3日おきにご近所の方々から美味しい手料理のお裾分けを頂き続ける、という幸運に浴することになりました。手料理はやっぱり美味しい。外で食べるイタリア料理も大好きですが、やはり家庭で作られるイタリア料理は、ただ美味しいだけでなく、(老若男女問わずが)手間をかけて作って、それを(一人でも家族でも)楽しんで食べて、誰かにもその楽しみを分ける、そこのところ全てが繋がって「イタリアの食」はしっかりあるのだ、さすがだ、と、日々唸っています。

 イタリアのニュースを日々見続けていると、政府レベルで、つまり首相がはっきりと「国民全員に大変な犠牲を強いることになる。それでも国民の命を守ることをイタリアは何よりも優先する。」という姿勢を打ち出していて、それはとても明確な指針として国民に伝わっているのではないかと思います。どんなに不便でも、生活が大変になっても、今は何とかして国全体で死者や重症者を減らすことが優先という段階にあること。今はその目標の為の、長い踏ん張り時であることを、繰り返し伝えています。

 人と集まってコミュニケーションを取ることがあれだけ好きな(というか遺伝子に組み込まれている様な)人が多いイタリア人の多くがそれを粛々と守り、この状況を受け入れている、そのベースにはしっかりと「命を守ることを最優先する」という強い共通認識がある事を、この状況だからこそ、より強く感じています。そしてその「命」というのは、自分と周りの人だけではなく、近く、もしくは遠くにいる知らない人の命でもあるという認識がきちんと共有されていること。これは、カトリックの国だからなのか、イタリアという国の国民性から来るのか。

 第一線で働く医師、看護師、救急搬送隊員の、凄まじい働きぶり。彼等に贈られる感謝の言葉と拍手。ボランティアの医師の募集に、24時間で8000人が自ら名乗りを上げた、というエピソード(最高齢の応募者は80歳だったとか)。国民から続々と市民保護局に寄せられる寄付金。一人暮らしで買出しが出来ない高齢者に宅配を行う若者ボランティアの行動力。街のあちこちの窓に掛かる、子供達が描いた虹の絵と「全てうまく行くよ」という言葉。スーパーの出口にある大きなバスケットと、「可能な人はここに置いていってください、不可能な人はここから持って行ってください」の札(スーパーで買い物した商品を寄付としてバスケットに置いていき、生活に困窮した人がそこから持って行っていい、というシステム)。バルコニーから外に向けて演奏される歌。それに合わせて歌う人達・・・。

 この状況で日々見聞きする、多くのこと。個人レベルの行動力。気負いなく人に手を差し伸べるメンタリティ。屈しないバイタリティー。どんな時も音楽を愛すること。人を応援し感謝する気持ち。ネガティブもポジティブも犯罪も詐欺も慈善も救援も団結も。

 日本では、もしかしたら感染者や死亡者の数、そして「医療崩壊」という簡単な言葉で報道されているだけかもしれないこのイタリアで、私は日々様々な発見をさせてもらっています。この状況で家から基本出られない生活だからこそ、気付く事も教えられる事もあります。それを大切にしたいと思います。

 イタリアは、過去にペストで多くの死者を出した経験がある国です。かつてヴェネツィアでも人口の3分の1を失っています。「デカメロン」が生まれた時代背景にもペストがあります。それらは世界史や文学史の一項目として他人事ではないのだということ、今のこの生活はその延長上にあり繋がっているのだということ、国中で現在この危機と闘っているイタリアでは、恐らく文学や音楽(それは商業的というだけのものではなく)の傑作が生まれるだろうと思います。それ程の大きな波として、イタリアという国が多くの犠牲を出しつつ、しかし人間のエネルギーは失わず、ウイルス危機に直面している、自分はそこで生活している、と感じています。

 今の日本の状況は、イタリアの状況とは違います。感染者数も死亡者数もイタリア程には多くはありません。それでも、今日本に既に入っているウイルスは、こちらイタリアで(だけでなく世界で)猛威を奮っているウイルスと同じものだと考えた時、ここでの私の報告が少しでも皆様の参考となるのであれば、そして何かを考えるきっかけになるのであれば幸いです。

邸宅の門に貼られた「全てうまくいくよ」のメッセージと虹の絵。手前はゴンドラの舳先
邸宅の門に貼られた「全てうまくいくよ」のメッセージと虹の絵。手前はゴンドラの舳先

2020年4月12日
小山 壽美子

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